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あの坊主と関わりを持ってからというもの、日頃から様々に、突拍子もないことを山ほど体験させられてきた葉柱ではあったが。今回のものほど突飛で、文字通り“次元を越えた”代物はなかったろう。
前日に…それこそ土曜だからと遅くまで、他愛ないこと話していて起きていたせいでの朝寝坊。先に目が覚めたのでと、ベッドから抜け出してシャワーを浴び、適当に普段着を羽織って、さて。そろそろあいつも起こして、遅いめのブランチでも食べに行こうかいと構えかかってたところへ、居間のソファーからコロンと転げ落ちそうになってた小さな子供。何でとか、何処からとか思う以前に、落ちては大変と体が反射的に動いており。腕の中に受け止めたおチビさんは………何とも過激な格好をしていたもんだから。それへも二重に驚かされた。真っ黒なコスチュームは、女性のセパレーツタイプの水着を思わせるほどにあちこちがつんつるてんで。腹や背中は故意にだろう、特に大きく空いており。ホットパンツの両脇や、大きく開いたカットソーの背中は、細い革紐で絞られているところが、こんなにも小さい子供だってのに どうにも…セクシーだなと、不甲斐ないことにはドキドキと緊張しないでもなく。
『これだとまだ途中なんだぜ?』
そうと言ってアームカバーの下から引っ張り出したのは、黒いオーガンジーのフリルがぐるりと縁取りをしている、幅広のヘアバンドのようなお帽子で。それを鉢巻きみたいに、前髪の少し上から両サイドの耳の上まで、伏せるようにあてがって。後ろの髪ん下へとくぐらせた辺りの、うなじへ回したところで紐を結えば出来上がり。淡い色調の金の髪を引き締める、これも気の利いたアクセントになってはいたが、
『ただサ。これだけが何かゴスロリっぽいからちょっとねぇって、メグさんと思案中だったんだ。』
どう見たって小学生の、それも一年生か二年生。この小ささで、こうまで口が達者な子供というのには、困ったことには覚えがあって。金髪なのも淡い色合いの瞳なのも、面差しは繊細で日本人なのに肌の色はびっくりするほどに白いところも。伸びやかな肢体が、単なる“可愛い”の枠に収まらず、妙に…その、蠱惑的なところもお揃いなれど。但し、その子は今や育ちに育って高校生だから、
“…ってゆうか。何で躊躇なくの速攻で、この子をあいつだと思ったんだろ。”
現れた途端に、きょろんとその大きな瞳を見開いて、こっちの顔をまじまじと見上げて来た子供。見れば見るほどに覚えのある面差しだったけれど、だからあいつは高校生なんだし、今の今、隣りの寝室にいる筈じゃねぇかと思い直す。けれど…、
「…ヨウイチ、か?」
知らず、口を衝いて出ていた問いかけ。そして、
「うん。」
それは素直に頷いた坊やだったから…さあそれからが混乱の始まりで。
「…ルイ、何でいきなり、そんな老けたんだ?」
表情が固まっていたのは、自分がどっからか現れた存在なのだという、大変な目に遭ったことへの認識からではなく。眼前にいた葉柱が、彼の知る“葉柱”よりも年嵩だったのへの驚愕で、手一杯だったらしくって。そか、この子にも“ルイ”ってのが傍らにいるらしいなと、そこだけは何となく把握する。恐らくは自分に似ているが、もう少し若いらしい“ルイ”とやら。この自分をその人物だと思っているらしく、何で老けたのかと不思議がっており、そして、
「カッコも違うし…。つか、此処って何処だ?」
ああ、やっと周囲に目が行ったか。思った途端に、こっちの腕の中からぴょいっと飛び降り、部屋の中を見て回る。好奇心旺盛なところも同じじゃないかと、小さなデリバリー・クィーンさんの挙動を眺めていれば。寸の詰まった短い腕を伸ばしては、テーブルの上のごちゃごちゃを掻き回し、幾つかあるリモコンをまじまじと眺めてから、その中の一つに注意を寄せる。
「これって…ケータイ・デジ音なのか?」
「あ? ああ。」
どうかするとレトロなタイプのもので、近々復刻版が出るらしく。だったらオリジナルだと値打ちが上がるかななんて、小物入れから引っ張り出してたもの。女の子が髪を押さえるカチューシャみたいな形をしていて、使い方も同んなじ。頭頂部にアームを沿わせてセットする。耳の周辺の骨へと響かせることで聞くので音漏れがしないし、そういうタイプは通話用の電話が限度だったものが、かなりの高音質を再現出来る技術が製品化されるまでになったことから、このタイプの製品こそが市場を埋めるのに時間は掛からず。最新式だと小さなヘアピン型なんてのまで出ているほど。そのくらいの情報は昔っから俺より早い奴だったよなと思い出していれば、
「…こんなの知らない。S◇NYって書いてあるけど、こんなの出てたのか?」
どこか呆然として見せる大仰さ。ああきっと、仲間うちじゃあ一番に情報通な子なんだろうな。だから、知らないものを見てビックリしていて…って。何だか、その姿にほだされてか、和んだまんまでついつい見守ってしまっていたが、この子は…一体?
「これって製造年月日だよな。」
壁際に設置してあった薄型テレビに近寄って、その隙間から覗いた裏に、何か記してあったのを見たらしく、
「…なんで、7年もサバ読んでんだ?」
――― はい?
そうと呟き、そりゃあ真摯なお顔になってしまう。小さな手を胸元に押しつけ、ぎゅううっと“ぐう”に握り込んでおり。白い関節がなお白くなるほどに堅く堅く握り込んでいて。そんなに握っていたらば…爪が折れるか手のひらが切れるぞと。やめさせようとして近づいたら、
「…るい。」
そりゃあ小さな声で呼ばれた。怖くてたまらないのかと思い、素早く傍らまで寄ってやり、床へ片膝をついて顔の高さを合わせてやれば、
「今って、西暦で何年だ?」
恐ろしいほどに平板な声で、そんなことを訊いて来る彼であり。
――― はい〜〜〜?
何だか。こういうやり取りって、映画かアニメで見たことがあるような。現実にはあり得ない話の展開へは、さすがに大人として、少しばかり戸惑いを覚えてしまったものの。間近になった淡い金茶の瞳は…真っ直ぐにこちらを見据えており。真っ白な顔、尚のこと白くして、無表情でいるのが何とも痛々しく思えたので、
「………2015年だ。」
こんなの、普段だったら“そんくらいも知らねぇのか”なんて、罵倒句つきで放り投げてるような台詞だったのに。大切な暗号でも伝えるような慎重さで告げてやれば、
「そっか………。」
ぽつりと一言だけ呟いて、そのまま項垂れてしまうではないか。そのしおらしい姿にドキリとし、そして…胸の奥底から沸き上がって来た とある想いがぐるぐると、頭の中を勢いよく駆け巡り始める。ああああ、もしかして・もしかしてっ。この子は、あのその、信じ難いが………もしかして。
――― 過去からやって来た“ヨウイチ”なんではなかろうか。
あまりに覚えがあり過ぎる、突飛で愛らしい容姿や声に、初対面にもかかわらず、臆さぬまま“ルイ”と名前の方でこの自分を呼ぶところ。そして…十年近く前にあれほどヒットした、革命的デジ音モバイルを知らないこと。この子が10歳には満たない年齢なら尚更に、このタイプの携帯ステレオしか、むしろ知らない筈なのに………と。一つ一つを検証しながら、年甲斐もなくドキドキと。ピュアなSFオタク少年みたいに、目の当たりにした“奇跡”へと わたつきかかっていたところへ。
「…此処って、10年後の世界なんだ。」
絵空事の、SF世界にのみ限定の“不可思議現象”。こうまで条件が揃ってもなお、口にするのは少々憚られた葉柱とは違い、金髪の小さな坊やはやはり臆することなく、はっきりと言い切って。それから………
「凄っげぇ〜〜〜〜っ!」
……………おいおいおいおい。さぞや衝撃を受けたのだろうと、しおらしくも項垂れた姿にこちとら同情しかかっていたってのに。ガバッと顔を上げるや否や、今度は一転して“やーはーっvv”とばかり、トンピョンと跳びはねながら、感動の雄叫びを上げている。
「お、おい。」
「もしかして、俺が何かトリックとか使って入り込んだとか思ってるんか?」
素早くこっちを向いたお顔は、さっきとは打って変わって、そりゃあもうもう嬉しそうで。しかも何だか金茶の瞳に宿した光も増しており…活力も一気に増してやいませんか?
「なあって。」
「あ、ああいや、そんなことは…。」
どうやら“不思議現象によって此処に現れた自分なのだ”と、それを葉柱へと語って聞かせたい彼であるらしく、
「このマンションって、戸別のセキュリティもしっかりしてんだろ?」
まずはずばりと、そう言い切る。
「ルイが適当に選んだのなら知らねぇが、あの家を出るにあたっては絶対に伯母ちゃんか斗影の兄ちゃんが手を出したり世話を焼いたりした筈だから、そういうのへも目を配って、キチンとしたのを選んでるに違いない。」
あまりの図星さへ ウッと怯みつつ、
「…まあな。」
蛇足ながらも付け加えるならば、その“検討会議”には、何故だかヨウイチもちゃっかりと加わっていたのだが…。正直にも“是”と頷けば、
「だったら、俺みたいな子供には残念ながら、そんなフラットの真ん中にあるこのリビングへ、何の警報も鳴らさせないで…誰の協力も得ないでの侵入は不可能だ。」
自分の意見へ“うんうん”と殊更大仰に頷いて見せ、
「このフラットの中、外に接してる窓からもドアからも、壁からさえも一番遠いだろうソファーの中に、家にいたルイに気づかれないで、どうやって隠れてられる?」
クレオパトラがシーザーにこっそり逢いに来たんじゃあないんだから。そんなことを言い足すので、何だそりゃと眸を丸くすれば、
「有名な逸話だぜ? 実の弟で当時のエジプト王から追放されてたクレオパトラは、家来たちに命じて、ローマからの遠征軍の本営へ、自分をカーペットにくるませて運ばせたんだ。」
ローマ軍を率いてた将軍のシーザーは、暗殺を一番に恐れていたから、内密になんて申し出てもきっと逢ってはもらえない。でもって、クレオパトラもそうそう大っぴらには行動出来ない身だったからって、そんな策を取ったんだってさ。大人ばりの一丁前な蘊蓄話を滔々と披露した坊やには、さしもの葉柱も呆れて見せ、
「…成程な。
ウチの事情に詳しくて、尚且つ、こうまで賢はしっこいチビとなると、
俺はあのヨウイチしか知らねぇ。」
感嘆と共にそうと言ってやると、小さなセクシーデビル様、剥き出しの小さな肩をすぼめるようにして、初めて…屈託なくも愛らしく、笑って見せてくれたのでした。
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